「聖地の香り」のその後・・・こころのゆれとともに歩く T.Y

今年から始めた鎌倉にある黙想の家の庭仕事ボランティア仲間のKさんから、「Yさん、今年のサンチャゴ巡礼参加者が一名足りないの。行きませんか。」と誘われた。上田の家に時々遊びに来てくださるN子さんからも「サンチャゴ巡礼参加者に主人と同じ年齢位の人がいないので、是非一緒にいきましょうよ。」と」誘われた。生来の出不精である私は外国旅行には殆ど関心がなかった。10年前にニュージーランドにトレッキングに行った以来何処にも行っていないのでパスポートも失効している。それに妻が帰天してからは自分ひとりで観光旅行する楽しみにはこころが動かなかった。しかし、今回のお誘いには少しこころが動いた。

なぜなら、聖地サンチャゴを目指して120km歩く巡礼旅行であること、聖地ルルドとファチマを訪ねること、そして神父様が同道してくださり、単なる観光巡礼ではないからである。 
それに妻が帰天して以来ずっとこころに引っ掛かっていた「迫り来る死を前にしてどうしてこころを乱さずにいられたのだろうか」ということが、もしかしたら今回の巡礼で何かが分かるのではという勘が働いた。

しかし、出発前に私自身の身体に異変が生じた。毎年受診している”人間ドック”の結果「胆嚢に11mmほどの腫瘍が認められる。早急に精密検査の必要あり」と宣告された。巡礼出発1ヶ月前であるので、当然迷ったし、落ち込んだ。しかし、予定どおり巡礼に行くことにした。「迫り来る死を前にしてどうしてこころを乱さずにいられたのだろうか」の答えを求める又とない機会を逃したくなかったからである。
巡礼の準備会での分かち合いではまだこのことに触れる雰囲気になっていなかったが、ルルドでのミーティングで「私がこの巡礼に求めているのは、たとえガンの宣告であっても、こころのゆれを少なくできるよう、天使祝詞にあるように『死をむかえる時も祈って下さい』とマリアへの取り次ぎを祈ることです。」と話した。ガンの宣告を避けたい気持ちはあったが、それよりも妻に倣って、この現実をこころを乱さず受け入れる勇気がほしかった。

巡礼旅行最初の宿泊地ルルドに着いた。少し疲れを感じていたが、次の日の早朝まだ真っ暗の中、皆さんが沐浴に行くというので私も付いていった。早朝にもかかわらずイタリアからの団体がもう並んでいた。イタリア語でのロザリオの祈りが連綿と流れる中5時間も待って洞窟の沐浴場に導かれ、冷たい水風呂に沈められた。なんとも不思議な体験であった。まさに聖地巡礼そのものといってよい体験から今回の巡礼は始まった。

ルルドから聖イグナチオの生家があるロヨラ、レオンと快適なバス旅行を続け、ポルトガルとの国境近くのツーイから5日間かけて120km歩き続け、全員無事にサンチャゴに到着した。巡礼証明書を頂いて入堂したが、案内本やテレビ番組で紹介されていたような大感激はなかった。スペインでサンチャゴの大聖堂クラスの教会をあちこち見てしまった後では大聖堂そのものに感動はしなかった。むしろ巡礼途上で出会った人達を大聖堂の中で見かけたり、大聖堂前の広場で出会ったりすると何とも言えない親しさを感じてこころが熱くなった。どんな思いで何百kmも徒歩巡礼をしてきたのだろうか、明るく陽気な表情の下に私と同じような苦しみや迷いをかかえて歩き続けてきたのだろうかなどと思ってしまい、思わず目が潤んでしまった。

巡礼から帰ってすぐに受診した。その結果は私が考えていない思いがけない内容であった。「CTスキャンによる精密検査の結果、胆嚢に腫瘍状のものは見かけられません。超音波診断の映像はどうだったんでしょうね。不思議ですね。まあ、3ヶ月たったら再検査しましょう。」誤診だったのだろうか。とにかく不思議な出来事が私に起こったようだ。
幸い私は徒歩巡礼中、出発前に感じていた精密検査の結果への心配、不安によるこころのゆれは日々小さくなり、人ごとのように客観視さえしていた。

巡礼途中心掛けたことは一歩一歩の歩みに合わせ、心の中で、「主よ憐れみたまえ」「神様におまかせします」などと祈っていただけである。多分亡くなった妻も同じことをしていたのではないかと確信した。
妻は自らの人生で出生時の仮死体験、出産時の危機を体験し、そして突然の病気で帰天した。私はもとより彼女を愛する人達にとっても受け入れがたい出来事であった。しかし「これらをすべてこころに納めて思いめぐらしていた」そして「み旨のままになりますように」と神様のみ旨を生きたマリア様に倣う生き方ができたのではないか。
聖地サンチャゴを目指す一歩一歩の歩みと聖地に吹く聖霊の風のおかげで、6年間こころに巣くっていたこころのしこりが溶けた。(2008.9.14)

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