第2回 黙想の家に来ること-2 黙想の家での過ごし方

―なにも、しない こと

では、黙想の家に行ったら、どういう態度で過ごせばよいのだろうか。

まずは何もしないことである。何もしないということに自分の身をおくのである。 それは沈黙に身を浸すということでもある。

少し人里離れた黙想の家で、野の花を眺め、鳥のさえずりを聞く。さわやかか風に当たり、新鮮な空気を吸い、静か な環境の中で、まずは自分の心と魂を休めるのだ。

そして、講話があるならば、それを聞いてみる。神父によって話の長さは違うけれど、その 講話は個人的な祈りを深めるための手助けである。

その講話の後、心に響いたところを一人で静かにふりかえってみる。そのような個人黙想の時間をもつこと が、黙想の家では何よりも大切なのである。

―神様とふたりだけで

黙想の家では個室がある。ホテルのようにツインの部屋はない。

なぜならその 個室で、人は独りになることができる。厳密に言えば、ただ一人ではなく、神さまと二人だけで過ごすためである。

修道者は普通、それぞれ個室に住んでいる が、それは集中して勉強ができるとか、一人だと気楽だからとか、他の人のいびきに邪魔されないなどという功利的な目的のためではない。真の孤独のうちに、 神とだけ過ごすためである。

また個人の黙想の時間を、聖堂で過ごすこともできる。

カトリックの聖堂には、何といっても「ご聖体」が安置さ れているので、イエス・キリストの現存が満ちている。聖堂で静かに坐っているだけで、だんだんと心が落ち着き、平安な心が広がってくるものだ。

個室にしろ 聖堂にしろ、どこか自分の落ち着く場を見つけたい。そこで、まとまった時間(30分から1時間くらい)、ただ沈黙と黙想に身をおいてみよう。

そして、先ほどの講話を思い出し、何か心に響くところや引っかかるところを思い出し、自分の生活をふりかえってみるのである。

あるいは、聖書を開 いてみよう。ゆったりとした心でみことばを味わいながら、読んでみる。味わい深い箇所が目にとまったら、そのみことばを心の中で繰り返して味わってみるの である。

―あわてずに、ゆったりとした心でうけとめよう

心が騒がしくて落ち着かないこともある。あるいは逆に疲れが出てきて、極端に眠くなることもある。そのような自分の反応もあわて ずに受けとめながら、なるべくリラックスした心で過ごすように心がけてみよう。神さまと一緒といっても、急にぴんと来るものでもない。あわてないで、身も 心もゆったりとして、沈黙を味わうように心がけるのである。

黙想の家がどういうものかもっと知りたい人は、キャサリ ン・ド・ヒュイック・ドハーティ著『いほりの霊性』(中央出版社)という本を読むのを勧めたい。著者はロシア正教会のロシア人女性である。ロシアの正教会 には、「プスティニア」(荒れ野)という伝統がある。日本語でいうところの隠遁生活である。「プスティニク」(隠遁者)はただ聖書だけ(それ以外のものは 読まない)をもってそこに入り、祈りの生活を送るのである。この本に描かれている世界は、まさに黙想の家で何をするかがよく語られている。

―黙想の家に来られないときは、自分なりの引きこもりタイムを作ってみる

黙想の家に来ることができない人も多いだろう。できれば週に1回でも、月に1回でも、自分なりの黙想の時(引きこもりタイム)を作ってみたらどう だろうか。

ある人は、東京タワーに登って、半日ほどそこで過ごすという。私は近くの公園や海辺に行ったり、近くの山道をぶらぶら歩いたりする。そこでただじっとしているだけで、少し活力が回復してくるような気がする。

前回のテーマも実は同じことを語っている。

自分の部屋の一角に黙 想をする場を作ることは、同じ目的である。

この世のわずらいをおいて、神とだけ過ごす特別の恵みの時を過ごすためである。

それは神のみ旨にかなう真の信仰 生活を送っていきたいからだ。

―さいごに

なお、黙想の家は単なる温泉旅館や別荘とは違います。そのため、ただ休養したいという方の使用はお断りしています。

あくまで祈りと黙想のため、神との交わりを深めるための場所です。

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