第二の旅

「主イエス・キリスト」の「人生」のありがたさを悟る

第二の旅は第一の旅の体験を常に方向付けとして保つために行われます。但し、第一の旅で神様に対する自分の心が充分に納得でなければ、第二の旅に入ってもかえって混乱です。

ここでの旅は宇宙万物の歴史において受肉した主イエス・キリストの生涯における「歴史とその神秘性」を心にとめます。イグナチオは当時伝統的なキリスト教の信仰を持ちましたが、それほどキリストに対する知識や理解を持つ人ではありませんでした。但し、霊操第106項に書かれた彼の観想は、現代に至るまで多くのキリスト教の信仰者及び学者たちの心を動かしました。

「まず、服装と動作の様子が非常に異なる地上の人々を見る。その中には白人もいれば黒人もいる。ある人は平和のうちに、ある人は戦争のさなかにおり、ある人は泣き、ある人は笑っている。健康な人もいれば、病人もいる。生まれたばかりの者もおれば、死にかかっている者もいる。そのような様子を見る。

第二には、自分の王座、主なる神のみ座についておられる三位一体を見る。三つのペルソナが、地球の全面と、ひどい盲目に陥ったすべての民を見られ、彼らが死んで、地獄に落ちていくのを見られることを考察する。

第三は、聖母と彼女に挨拶する天使を見、そこから益を収めるため自分に目を向ける。」(霊操106項)

主イエス・キリストに対するイグナチオの信仰は勿論現代のキリスト教の信仰でもあります。しかし、ここではイグナチオがキリスト教の伝統で受け継がれた「思考」より、むしろ自分の歴史を通じて、キリストの「人生」及び「ペルソナ」のありがたさを観想したうえで、彼自身の人生は100パーセントキリストの生き方と召命に従う道に変わりました。

第二の旅において、キリストの「神性」を深める中で、さらにキリストの「人生」のありがたさを「を悟り、それを内的に味わうこと」を願います。事実上、そのような悟りはイグナチオだけではなく、数切れない程の人々の人生を勿論動かし、以下はパウロの人生の変更を引用します。

「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(2コリ5:15)」

パウロもイグナチオも、またすべてのキリストの信仰者も、キリストと出会ったことは人生の中で最高な出会いとなります。それは、主イエス・キリストの生涯と召命において、暗闇に包まれたこの世界が「死」に滅びることなく、「生」の源である神様の方に新たに方向付けられるようになりました。キリストの考え方・生き方・感じ方などを「を悟り、それを内的に味わうこと」は第二の祈りの旅において、最も重要です。

罪人にもかかわらず、

イエズスの友と呼ばれたイグナチオ

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34週間の日々の祈りの旅は 「段階的」 に行われます。祈る際に、たくさんの祈りを済ませるより、 「ものを悟り、それを内的に味わうこと」を優先して、次のテーマに展開していきます。つまり、次の週又は次の日のテーマを先読みしながら日々の祈りを行うことは適切ではありません。「量」より、むしろ 「質」です。

第二の祈りの旅の手引き

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