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十字架の道に向かうイエスは12人の弟子たちと共に最後の晩餐の食卓に着きます。最後の晩餐でイエスは私たちに大切な出来事を残してくださいました。それは十字架上で捧げられたイエスの「御体」と「御血」による最大の愛のしるしです。したがって、12人の弟子たちとそれ以来の弟子である私たちは確実にイエスの使命に与ることになり、同時にイエスご自身も私たちに永遠のいのちの約束をしてくださいました。
今週の霊操で、どのような場所でイエスと弟子たちの最後の晩餐が行なわれたか、その場面を実際にそこに居るかのように想像していきます。最後の晩餐のシーンの中に、私たちも、一人の参加者として12人の弟子たちの間に入り、想像の中でイエスと他の弟子たちとあたかも対話をしているように、またある時はじっとイエスの話しを聞いている弟子の一人として、その時のイエスの気持ちや感情を味わってみてください。
イエスはご自分の命を私たちに捧げてくださいます。最後の晩餐でイエスはパンを裂き、「ぶどう酒」と共に祝福し、ご自分の「体」と流される「血」に変え、そして弟子たちと私たちに渡されます。その時、イエスは「あなたと多くの人のために渡される私の体と血」、またそれを「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言い残されました。その大切な言葉は今に至るまで私たちにとって永遠の約束、恵み、救いです。このように、最後の晩餐はわたしたちのためだけではなく、多くの人々の救いのためにも行なわれた出来事です。イエスがそれを「わたしの記念として行ないなさい」とおっしゃったのは明らかに全人類の救いのために行なわれるものに違いはありません。
ヨハネ福音書(13:1-20)では、この最後の晩餐でイエスは弟子たちの足を洗う場面を書き記しています。12人の弟子たちと同じように、私たちもイエスに愛を洗ってもらっている様子を想像してください。愛のしるしとして私たちの足を洗ってくださったイエスの行いは、私たちにとって「多くの人々に仕える」大きな模範となります。このように、今までの私たちの霊操は最終的に、イエスが示した愛のしるしに応えるためのものです。
今週の霊操で、イエスの模範が私たちの心に浸透するように、私たちが心を広く開いて、これらからの自分の日々の生活の中でイエスの模範を実現することができるように、神からいただいた愛の体験を多くの人々に現すことができるように、その恵みを願います。
祈りの要点
*恵み: わたしに対する主の深い愛を味わう恵み。そして主の受難の痛み、苦しみを味わっていくように。
第1~2日(最後の晩餐、ルカ22:14-20)
- 最後の晩餐に、弟子たちと共に参加してみる。そして、イエスの弟子たちに対する愛、わたしに対する愛を味わう。
- ご聖体を制定されるイエスのことばと姿に注目すること。ご自分の体と血をわたしたちに与えられることは、わたしにとってどのような意味があるのだろうか。
- わたしにとって、ミサにあずかることはどういうことを意味しているだろうか。
第3~4日(洗足、ヨハネ13:1-14)
- 弟子たちの足を洗うイエスの姿に注目する。
- 弟子たちと共に足を洗ってもらう。足を洗ってもらうとは、わたしにとってどうことだろうか。
- イエスが「互いに足を洗い合わなければならない」(14節)と言われる。それはわたしたちにとってどういうことか。
第5~6日(ゲッセマネの祈り、マルコ14:32-42)
- イエスの死ぬばかりの悲しみを味わう(34節)
- イエスの正直な気持ち(この杯を取り除けてほしい)と、み心に適うことを願う心葛藤は、どのようなものだったか。イエスにとっても十字架にかかることは簡単ではなかった(35-36節)
- 大事なときに眠ってしまった弟子たちとイエスとの断絶(37-41節)
第7日(反復)
- 印象深いところを味わいなおす。
- 特に、内的な五感(見る、聞く、嗅ぐ、触る、味わう)を使って、聖書の場面により深く入るように。
ポイント
- 主の受難に心が少しずつ向かっていくように。そして、主の苦しみの意味をもっと深く悟ることを目指していく。
- 主のすべての苦しみは、すべてわたしの罪のためであることをより深く祈るように。またわたしは主のために何をなすべきか、どのような苦しみを耐え忍ぶべきかを考察する。

