25週目:エルサレムに向かって、弟子たちの心の目を開くイエス

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何週間もイエスの生涯を味わい、いよいよ今週の霊操で33年間のイエスの生涯における最も決め手となる出来事を黙想していきます。それはエルサレムの出来事です。

マルコ福音書では、エルサレムに向かっているイエスの旅の中で、ご自分の死と復活の予告は3回も弟子たちや人々に伝えられ、予告の始めと終わりに2回の盲人のいやしの劇的な奇跡(8:22-26、10:46-52)が導入されています。マルコ福音書にとって、この2回の奇跡はあくまでも単なる奇跡物語ではなく、イエスの「受難と復活」に対する弟子たちや人々の信仰を表すものです。

1回目の奇跡の出来事では、イエスは二つのプロセスを通して、盲人の目をいやします。最初のプロセスにおいて、目は見えるようになりましたが、まだぼんやりとしか見えませんでした。次のプロセスで、盲人の目は完全にいやされ、イエスの姿が目ではっきり見えるようになりました。いやしにプロセスが必要であることは明らかで、弟子たちや人々の心の目が開かれるために大切なこととして強調されます。そのために、エルサレムに向かう間に、イエスは3回もご自分の死と復活を予告します。同時に、その予告の中で、イエスに従う意味、イエスの弟子になる重要性はどのようなことであるかを伝え続けます。

彼らの心の目がイエスの使命をもっとはっきり理解できるように、エルサレムのはずれで盲人のいやしの奇跡はもう一度行なわれました。バルティマイという盲人の叫び声を聞いたイエスはすぐに目をいやしたわけではありません。まず盲人の信仰を確認して、「なにをしてほしいのか」と盲人に尋ねました。盲人ははっきりイエスに自分の信仰を伝え、その信仰によってバルティマイの目はいやされました。そして、目が見えるようになったバルティマイは道を進まれるイエスに従いました。

2回目の盲人の奇跡の出来事の中に弟子たちや人々に対するイエスの希望がはっきり現れています。それは、御父のみ旨を果たす使命を生きるイエスに従うために、自らの信仰をはっきりさせること、さらに心の目が開かれることでした。これをしない限り、いくらイエスに従おうとしても姿が見えず、イエスが何故エルサレムで苦しまなければならなかったのか、おそらく彼らにはその理由が分からないでしょう。

1回目の予告(マルコ8:31-38)で、イエスの使命がエルサレムで死ななければならないこととどういう関係にあるのか、ペトロにとっては理解しがたいものでした。それにイエスは人間が思ったことではなく、神のみ旨に心を開けよとペトロと他の弟子たちに警告しました。また、イエスはご自分の弟子になるための心構えをはっきり言いました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」と。私たちの人生の旅はどちらのほうに向いているのでしょうか。「全世界のものを手に入れようとすることによって、途中で自分のいのちを失ってしまうところにあるのか」、それとも「神の栄光のために捧げることによって、そのいのちを得るところにあるのか」?

2回目の予告(マルコ9:30-32)では、弟子たちはまだ予告の意味が分からないだけではなく、その予告の内容が怖くて、尋ねようともしませんでした。おそらく、弟子たちは文字通りにイエスの予告を受け止め、それで怖くなってしまったのではないでしょうか。しかし、その予告における深い意味を理解すれば、イエスに従う恐怖感を受け入れることによって、逆にイエスに従う力になるでしょう。それはあくまでもイエスに対する弟子たちの信仰と関連するものだからです。

3回目の予告(マルコ10:32:34)では、ますますイエスに対する弟子たちの本心が見えてきます。その予告の内容に恐れる人々は増え、その恐れからくる人々の反応は自分たちの本心を表しています。3回の予告の後に、もしイエスが神の栄光を受ける時が来たら、誰がイエスの左と右に座れるのかと、弟子たちの間に喧嘩が起こりました。イエスに従う弟子たちの間に、誰が一番偉くなるか、又は先になるかと直接・間接的に競争がおこなわれ、彼らの心の有様を表すきっかけとなりました。結局、弟子たちや人々はイエスが望んでいるとおりの弟子になりたいのではなく、自分の都合によってイエスの弟子になりたいという本心を表わしました。最後の予告に対する恐れからその本心が見えるようになりました。

今週の霊操で、私たちはイエスの受難と十字架の出来事に入る前に、改めてイエスに従う決心をはっきりさせます。イエスに従うための心構えは何よりも盲人の奇跡で現れたように、私たちの目の心も開かれることです。その恵みを願い求めます。

祈りの要点

* 恵み:イエスの受難の苦しみを自分の苦しみとして深く味わうこと

第1~2日(ユダの裏切り、マタイ26:47-56)

  • ユダの裏切りの姿をよく見る(48-49節)
  • ユダを「友」と呼ばれるイエスの姿(50節)
  • 弟子たちは皆イエスを見捨て逃げてしまう(56節)

第3~4日(ペトロの否み、ルカ22:54-62)

  • イエスに従うと誓いながら(22:33)、あっさりとイエスを知らないと言ったペトロの姿を見る。
  • そのペトロを見つめられたイエスのまなざしは(61節)
  • 外で激しく泣いたペトロは、どういう気持ちだっただろうか(62節)

第5~6日(裁判と判決、マルコ14:53-65)

  • 茶番劇の裁判の様子を見る(55-59節)
  • ついにイエスは自分がメシアであることを宣言する(61-62節)
  • 侮辱されるイエス(65節)

第7日(反復)

    • 一番心に残ったところをもう一度味わい直し、特にイエスとの対話を心がけるように。

    ポイント

    • イエスの受難になるべく深く入っていくように。
    • 自分の生活全体で、イエスの苦しみを感じていくように心がける。特に、四旬節に祈る人は、典礼に合わせていくように。
    • 特に、イエスの苦しみはすべて人々のため、特にわたしのためであることを考え、自分は何をすべきか、いかなる苦しみを忍ぶべきかを考察する。
    • 前の選びや決心を思い起こし、その確認をすることも勧められる。

    他の聖書箇所

    • マタイ27:3-10、15-26
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