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イエスの生き方とミッションを知ることによって、イエスの姿が少しずつ私たちの心の中に深く刻まれるようになるでしょう。今週は、もう一歩進んで、いやしをもたらすイエスを黙想していきます。私たちは第11週目の黙想で既にいやしをもたらす慈悲深い神の愛を黙想しました。今度、人々の救いのために仕えるイエスの愛を通して、いやしをもたらす神の愛を具体的に見ていきます。あくまでも神の愛は私たちのすべての「傷」をいやすものであるということがイエスのいやしの行いから分かるようになるでしょう。
今週の霊操の中心は3年間にわたって様々ないやしを行なったイエスの業を見るだけではありません。むしろ、イエスの愛によるいやしの意味をもっと理解するように、それによってわたしたちはイエスをもっと知るように、黙想していきます。
御父は愛そのものであり、御父の愛はいやしをもたらします。イエスの愛の力は御父の愛から出てきます。したがって、イエスの愛の力もさらに人々にいやしをもたらします。そこで、イエスは人々を愛することを躊躇しません。イエスのいやしの行いは宗教的な規則や儀式に従い、限定されるものではありません。むしろ、イエスのいやしは、多くの人々の心に深く触れる行いです。それは、愛から出てくるものだからです。
イエスの愛の力は苦しんでいる人々の心に深く浸透し、彼らと苦しみを共にすることによって、中風の人々がなぜまひ状態になっているか、目の不自由な人々がなぜ視覚を失っているか、皮膚病の人々がなぜ触覚などをもてないのか、そういった人々の不自由さの原因を見出します。そのいやしの力は彼らの状態を理解し、彼らを抱くことによって行なわれるものです。したがって、イエスのいやしは外面的な病気をいやすより、人々の心の底の触れられない「傷」、堅苦しい心、暗闇の中に隠されている自己拒否に触れて、人々の心を解放するものです。イエスが人々の打ち砕かれた状況を理解し、彼らを愛するからこそ、彼らは良くなりました。彼らの元気な姿はイエスの愛の望みです。だから、中風の人に対して、イエスは「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われました(マタイ9:2)。
今週、私たちはイエスの愛の素晴らしさや魅力に引き付けられるように、自分の心を開いてください。福音書の中で描かれているイエスのいやしのシーンは彼の愛を表すものです。その同じ愛は実際に私たちの現実のシーンにも現れ、その愛をゆっくり味わうことは今週の祈りの中心です。私たちにとって、現実の中でイエスの愛を具体的に味わうことは言うまでもなくいやしの体験とつながるでしょう。いやしをもたらすイエスの愛の力を想像する度に、自分のことも人々のことをも常に愛するようにと招かれ、その招きに対するわたしたちの応えはいやしそのものであることに気が付くに違いありません。このように、今週の祈りで、限りのないイエスの愛を具体的に現実の日常生活に味わうことができるように、その恵みを願います。
祈りの要点
*恵み: 人々をいやすイエスの姿をよく味わう。また、自分自身をもいやしてもらう恵みを願う。
第1~2日(イエスのいやし、マルコ2:1-12)
- 傷ついたわたしを主のもとに運んでくれる4人の男は、わたしにとって誰か(3節)
- イエスのもとに行くため、はがさねばならない屋根とは何か(4節)
- イエスはわたしに何とおっしゃるか。「罪は赦される」と言われるか、あるいは別のことを(5節、11節)
第3~4日(イエスのいやし、マルコ5:25-34)
- 12年間も出血で苦しみ、しかも医者にも苦しめられた(25-26節)どんなに大きな苦しみだったことか。
- どのような気持ちで、イエスに触れようとしたのだろうか(27-28節)
- あなたの信仰があなたを救った(34節)とは、どういう意味だろうか。
第5~6日(イエスのいやし、ヨハネ9:1-12、又は1-41)
- イエスの通りすがりに、わたしの傷をいやしてくださるように願ってみる。
- 神の業が現れるとは、わたしにとって、どういうことだと思うか(3節)
- イエスは「池に行って洗いなさい」と言われた。わたしにとって池に行って洗うとは、どのようなことを意味するのか。(7節)
第7日(反復)
- 印象に残ったところにもう一度味わいなおす。
ポイント
- イエスと病人との関わりをよく見ること。特にイエスのことばや態度、また病人のことばや態度をよく聞き、よく見ること。
他の聖書箇所
- マタイ8:14-17、マルコ5:1-20、7:24-30

