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第10週目の霊操で、ゆるしをもたらしてくださる神の愛はどれほど私たちを救ってくださるかを見てきました。私たちは神の愛とゆるしの広さと深さに気付くことによって、神ご自身が罪人である私たちに対して、常に愛してくださることを実感しています。私たちは神に愛されている罪人です。今週はもう一歩神の愛を見ていきます。つまり、神の愛は有力であるから、その同じ愛は私たちをいやしてくださいます。どんなに罪人である「わたし」、どんなに傷だらけの「わたし」、神の愛の力は同じ「わたし」を救い出し、いやしてくださいます。
神は無条件で私たちを愛してくださいます。その愛の深さから神は私たち一人ひとりを受け入れてくださいます。
「神はあなたをゆるすだけではなく、常にあなたと共にいるように約束されています。それは、あなたが一人ぼっちにならないためです。これから、自分の力だけに生きる必要はもう要りません。神はあなたを満たします。すべての空しいことからあなたを見守っておられます。神の愛と恵みはあなたの心を満たすので、その同じ愛と恵みを多くの人々にも与えてください。」
私たち一人ひとりが神にとって大切な存在であり、神ご自身があらゆる傷や罪の鎖から私たちを解放してくださり、直接にいやしてくださることは、今週の霊操の中心です。それに対して、今週の私たちの努めは、慈悲深い神に自分の生涯をゆだねることです。
素直に神に委ねることは神のいやしの力を実感する唯一の方法です。今までの霊操を振り返って見れば、どんなに自分が無力であるか、どんなに傷つきやすい自分の姿が見えるか、どんなに自分が自己中心であるか、そういったことに気づいてきました。にもかかわらず、神の愛に気付くことによって、今度罪による個人的な反乱のパターンからどのように抜け出すか、それを想像することができるようになるでしょう。
つまり、次の詩編に示されるように、「主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか」(詩編116:12)、神はすべてを愛してくださるように、私たちも感謝と喜びを込めて、その同じ愛で答えます。神から頂いた愛の体験は私たちの愛の行いをも求めています。しかも、神の愛を体験すること自体はますます神との深い関りを求めるようにと導いてくれるものです。
これからの霊操も常に神の愛に答えようとするものです。私たちのすべての希望はただ単にどのように神と共にいられようか、そのほかはありません。その希望は私たちの心の奥から常にあふれるように、その恵みを望んでください。また、この同じ体験は他の黙想者や多くの人々にも行われるように、お互いに祈ります。
祈りの要点
*恵み:天の父、私たちの兄弟であり、伴侶であるイエス、慰め主であり、力である聖霊の助けを感じながら、回心へのあこがれを強め、イエスに従う決意を新たにすることができるよう、自分の罪深さを知る恵みを願う。
第1~2日(マタイ13:4-9, 18-23)
- 種蒔きのたとえを黙想しながら、どれだけ自分が耳の聞こえない者、無知な者かを知って、主をより深く知るようにしたい。
- また、自分の主に対する関りがどれほど希薄なものであったかを反省し、主との関係をもっと親しみのあるものにしたい。
- さらに、自分がどれだけ分裂した存在であるかを反省し、主において統合できるようにしたい。
第3~4日(マタイ25:31-46)
- 自分の死と裁きの場面を想像してみる。どのような状態で、いつ、どこで自分は死を迎えるだろうか。もし、今日、死を迎えるとしたら、私のやり残している仕事は何か。裁きの庭でイエスは私に何を語られるだろうか。
第5日(詩編51)
- 神のあわれみによりすがりながら、自分の心を新しくし、新しい霊に生きる恵みを願う。
第6日(ルカ5:1-11)
- 不思議なすなどりの証人としてシモンは、自分の罪深さに気付いた時、自分の有能さや資質に頼らないで、むしろありのままの自分を招いてくださった神のあわれみに信頼して、イエスの招きに実際に答えることができた。
第7日(ルカ15:11-32)
- 放蕩息子に対する御父の憐れみを深く感じ、それを受け入れることができる恵みを願う。
他の聖書箇所:
- ルカ18:9-14(罪人の祈り)、
- バルク1:15~2:18(私たちは神に不思議だった)
参考資料:
(イシドロ・リバス、『祈りを深めるために』その2)
- 「徹底的に罪人、徹底的に愛されている」、49~52頁。
- 「三つの対話」、63~66頁。
今週を含めて、私たちは11週間ほどイグナチオの霊操第一週、「自分の創造の目的、又それにおける神の計画」と「罪とそれに対する神のゆるしとあわれみ」を黙想して、その霊操から得られた恵みによって、今度キリストの信仰生活や受難と復活の観想をする心の準備ができました。本当の霊操はこれから始まるといってもいいくらいです。つまり、これから、神に愛されている罪人である「自分」は、身近にその愛を体験することができるのはキリストとの絆の中にあるからです。すべての私たちの生き方は、キリストに求められています。今週の霊操を終えたら、イグナチオの霊操第二週、「キリストの生涯と私たちに対するキリストの呼びかけ」の霊操に入ります。


11週目
沢山の罪、罪人でありながら力もない弱いわたし。助けて下さい。主の喜ばれることは何もない。見事にからっぽ!御心のままに裁かれるのも、裁かれないのも私には何も言う資格はない。従います。神様中心の生活をしたい、他人中心でもなくまして自分中心の生活でなく、出来るわけでもないのに神様の促し呼びかけにすぐ答える私でありたいと望む。主はあせらず日々の生活を感謝を込めて行う事がその道だとおっしゃる。私は私、それ以上でもなくそれ以下でもない事実。それも恵み。
それを認めて下さる主。すべてを委ね安心しきって平安の中にくつろいだ。