(PDF File)
ダビデはバト・シェバの夫であるウリヤを激しい戦いの最前線に出し、戦死させてから、バト・シェバを王宮に引き取り、妻にしました。そこで、預言者ナタンは主に遣わされて、ダビデのもとに行き、語りました。「ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて、自分の客に振る舞った。」それを聞いたダビデはその男に激怒し、「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ」とナタンに言いました。ナタンは「その男はあなただ」と言い返しました。(サムエル下11章~12章)
世界における無秩序の罪の現状を見るたびに、自分自身も何らかの関わりで神に対して同じ罪を犯しています。今週私たちが求める恵みは、自分が犯した罪を徹底的に知り、さらに心で敏感にその罪を意識するようにということです。しかし、自分が罪人であるとしても、神の寛大さと憐れみは自分の罪よりはるかに大きいので、どれほど私たちは感謝すべきであるのか、今週の霊操でそれを深めて行きます。
自分の言葉、怠り、行いによって犯した罪は何でしょうか。その罪は習慣的なものでしょうか、それとも本能的な罪で、常に自分の歴史にあるのでしょうか?今日までの自分を振り返ってみて、どのような「ところ」で自分は自主的に神から関係を切り離していますか?自己中心的な生き方で、神や他人や自分に対して忠実ではなかったのはいつごろの自分でしたか?自分の人生がみだらな生き方になったとしても、気付かないまま自分の心はだんだん硬くなり、神に対しても、他人に対しても自分は無関係の人間になったのはどうしてでしょうか?
「言葉、行い、怠り」によって自分は犯した罪を通して、悪霊の働き方と姿を見出しましょう。例え、自分の自己中心の生き方で、傷つけられ、害を受けた人々はいるのでしょうか。又、厳しい競争的な社会の中で空腹のままで苦しんでいる多くの人々がいても、自分は彼らの苦しみに責任が無いと確信して、彼らの苦しみに無関係だと思ってしまいます。さらに、自分を周りの人々のニーズから隔離して、自分は自分の世界だけで生きていればよいと思ったことから、だんだん周りの社会に対する自分の「心遣い」「心配り」などは大切のものではないと思うのは、それこそ悪霊の行動の現れです。
今週の日々の霊操で、悪霊の働き方を知ることによって、自分はどれほど悪霊の縄張りに巻き込まれて、さらにたくさんの罪を犯していたか、それに深く気付きましょう。自分の罪を見ると同時に、自分に対する神の憐れみと寛大さは限りないほどあるということにも気付くようになるでしょう。しかし、自分はいくら罪を犯していたとしても、神が何度も自分を許してくださったことは、自分を責めるためではありません。むしろ、それは悪霊の縄張りから解放されて、罪の鎖からもっと自由になるためです。このように、イエスが何のために十字架上で身を捧げられたか、自分の罪を見ることから少し分かるようになるでしょう。つまり、神は私たち一人ひとりを愛しているからです。
今までの霊操と同じように、今週も私たちは深く神に感謝を捧げましょう。「神さま、ありがとう」ということを言うのは、罪びとである私たちにとって当然のことでしょう。罪から解放されたという体験は、人間の知識や努力で手に入れられないものだから、この感謝の心は常に私たちの生活の基礎となるように、その恵みを望んでください。
祈りの要点
*恵み:自分の罪深さを深く悟り、神にゆるしを願う。
第1日(準備)
- 人生を5つの時期に区分して、それぞれにどのような罪を犯したかをリストアップする(第4週目の黙想の区分けをそのまま使う)
- 誰にどのように迷惑をかけたか。
- 自分が今も恥だと思っていることは何か。
- 神さまに対して申し訳ないと思うことは何か。
第2日(第1の時期について祈る)
- その出来事で誰が一番悲しみ、苦しんだのか。そのときの具体的な状況に戻って、味わい直してみる。
- 自分の犯した罪がいかに醜悪で、惨めなものだったかを思いめぐらしてみる。
- 神さまが罪を犯した私をどのようにご覧になっておられるか。
第3日(第2の時期)
第4日(第3の時期)
第5日(第4の時期)
第6日(第5の時期)
第7日(地獄の黙想)
- 今週の黙想の中で、もっと深めたいと思うところに戻って、それを深めてみよう。
- 最後に、主キリストと対話する。私は今、彼に何と申し上げようか。
ポイント
- この黙想もかなり辛いが、誠実に続けること。ただし、あまりに落ち込んでしまう人は、前に戻って、神の愛を味わい直すこと。
- 自分の細かな罪を思い出すことよりも、自分の根本的な罪深さについて黙想するように心がけること。
- 特にまわりの人がそれでどれほど迷惑したか。また、神がその出来事をどのように思っておられるかに焦点を合わせるように。
他の聖書箇所
- Iヨハネ1:8、2:2、4:10-11、
- ルカ15:1-32、ルカ7:35-50、
- ルカ18:9-14、ルカ19:1-10
参考資料:
(イシドロ・リバス、『祈りを深めるために』その2)、
- 「求められる改心 ― 回心 ― 開心」、35~37頁。
- 「生活態度としての罪」の説明、37~38頁。
- 「根源的な罪」の説明、38~40頁。


私の罪の歴史は心に蓋をする事から始まった。忙しい祖母、疎開させられた為なじみのない母、表面は良い子、でも何も言わない子。「~すべき」「~ねばならぬ」でとうしていた。心の中が悲しみで一杯でも。でも年と共に容赦なく押し寄せる仕事に平静を欠いていた。自分で作った神様に頼っていたのかも知れない。大きな罪。
言葉でなく書くことによって人を攻撃することを覚えてしまった私は、人を非難し、裁き、不和を作り罪の中にどっぷり浸かってしまった。悪霊に支配され主から遠く離れて行った。
こんな私にも慈しみ深い主は沢山の人を送って下さり、愛を実感させて下さった。大きな恵みを下さった事を感謝している。でも本当に放蕩息子と同じ!大きな愛を感じる。