第三の旅

十字架上で死んだ「キリストの従順」の神秘を悟る

「ゲツセマネの場面はイスラエルをエジプト国から導き出すために主が寝ずの番をされた夜を現している。(出エジプト記12:42)この寝ず番はイエスにとって苦しみもだえる夜となり、誰からも守られないでひとりで祈ることであった。死の苦しみと同じ悩みであり、仲間の裏切りを受け入れる夜であった。ユダの接吻はひとりの人がイエスを裏切ったものより、むしろすべての者がイエスを否認するという意味である。実際に、弟子たちはみんなイエスを見捨てた。」(マルコ14:50、黙示録3:14~17、16:15)

イエスは僅かな3年間で、「神様の実在」を語って、また多くの癒しの奇跡を通して、神様との交わりの大切さを示しましたが、多くの人々(さらにイエスの弟子たちでさえ)イエスご自身を受け入れませんでした。それでも、イエスは「自分をむなしくして、僕の身となり、死に至るまで、十字架の死に至るまで、へりくだって従う者」となりました(フィリピ2:7~8)。

第三の旅はゲツセマネで必死に祈るイエスの姿、不安感や心の迷いをリアルに感じる恵み、また御父に対するイエスの信頼と従順を味わう恵みを願います。ここでは、どんな時代の変遷があっても、第一の旅で示された「原理と基礎」の唯一意義を、イエスの死における御父への信頼と従順を通して、新たに深めていきます。

「一粒の麦、もし地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)

「しもべ」であったキリストに従うイグナチオ

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34週間の日々の祈りの旅は 「段階的」 に行われます。祈る際に、たくさんの祈りを済ませるより、 「ものを悟り、それを内的に味わうこと」を優先して、次のテーマに展開していきます。つまり、 次の週又は次の日のテーマを先読みしながら日々の祈りを行うことは適切ではありません。「量」より、むしろ 「質」です。

第三の祈りの旅の手引き

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